新井紀子「AI VS.教科書が読めない子どもたち」の感想―どれほどの人が学力向上に適応できるのだろうか

 新井紀子氏の「AI VS.教科書が読めない子どもたち」を読みました。2019年度のビジネス大賞での大賞受賞作。
 「東ロボくん」プロジェクトに携わった著者が、人工知能ができたこと、できなかったことを概説し、教科書をきちんと読んで理解することができない現代の子供たちと日本の教育に対し、警鐘を鳴らします。


 現状の人工知能は言葉の意味を理解することができないと著者は言います。人工知能にできるのは、膨大な情報を集め、確率的にあり得そうな答えを提示することだけ。そのため東ロボくんは、基本的には「出てくる単語の組み合わせからもっとも可能性の高い解答を推測する」という力技で、入試問題に挑みます。
 そうした取り組みの結果として、東ロボくんはMARCHレベルの大学の入試問題を突破するだけのレベルにはなりましたが、東大入試を突破できるようにはなりませんでした。それより上のレベルには、問題の内容を理解する読解力が必要であり、現状の人工知能では太刀打ちできないと著者は結論付けます。
 一方、言葉の意味が理解できるはずの人間はというと、実は多くの人が教科書を正しく理解できるだけの読解力を身につけていなかったことが、中高生や大学生のテストを通じて明らかになりました。人工知能にできないことは確かにあったけれど、その分野に携われるだけの能力は、人間の大半も持ち合わせていなかったということですね。そのため著者は、ホワイトカラーの大半が人工知能に置き換えられることを危惧します。

 読んでみた感想としては、8割くらいはなるほどなーと思いました。読解力は確かに学力の基本だと思うし、今の社会システムでは学力の差が収入の差につながりやすい以上、読解力を高めるような教育は必要だと思います。もし日本の子供の読解力の平均値が事実として近年低下しているなら、対策も必要でしょう。
 ただ、残りの2割くらいで、「うるせーわ」とも思いました。大学生の「深刻な誤答」や子供たちの受け答えに対し、著者は本書の中でよく驚愕したり背筋が寒くなったりしているのですが、その反応が鼻につきます。そんなことくらいで驚かないでくれと感じます。なんならこの子たちの方が普通で、あなたたちの方が特別ないしは異常なんだよと。別に多数派が偉いわけではないですが。

 データで示せるわけではないのですが、日本の人口の何割かは「学力」や「読解力」というものにそもそもあまりなじまないと、私は思っています。みんなが学校へ行くことには意義があるし、教育の機会は当然万人に開かれているべきだけれど、義務教育程度の学力でさえ、万人向けではないと。
 根拠は、私の親族やその周りの人たちです。
 彼ら彼女らは、社会常識や実務的な知識は別として、小学校高学年以上の学力をあまり身につけていません。電卓で消費税を計算することはできても、割合や比の理解は曖昧だし、読み書きはできても長文を読むことに抵抗があります。経験則が通用しない抽象的な内容ほど、「よくわからんが○○が言っていることがきっと正しいのだろう」という判断をしがちです。本書で例示された読解力を測るための問題のはるか手前でつまづいている人たちであり、かつて作者の想像以上に「教科書が読めない子どもたち」だったわけです。
 こうした人たちは、決して珍しくなく、むしろ普通だと思います。不良ではなく、毎日学校へ行き、試験前には多少なりとも勉強し、今は社会人として世の中を回したり、家庭を持ったりしています。

 教育の質は確かに上げるべきだし、いろいろと対策すれば読解力の平均値は上げられるかもしれません。でも、人工知能に勝るだけの読解力を大多数の子供たちが獲得するということについては、期待できないと私は思っています。
 なぜなら私の周りの「教科書が読めない大人たち」は、そもそも論理的であることに重きを置いていないようだから。
 主義・主張とか価値観とか、そんな大それたものではありません。根源的な思考回路の部分で、非論理的なことにさほど違和感を覚えないのです。論理的であることよりも、むしろ身内に共感されたり、面白いと思ってもらえることの方が心地よいと感じる傾向が強い。
 こうした思考回路を決定するものとして、遺伝的要因と環境のどちらの影響が強いのかはわかりません。でも、それの何が悪いのか、とも感じます。現代社会では損しがちだし、社会全体で見た損失もあるのかもしれないけれど、でもこういう人もたくさんいて、それが普通なんだよと。

 では、将来の社会で、こうしたたくさんの人々はどうやって生活の糧を得れば良いのか。そこが問題です。
 著者も少しだけ触れていましたが、人工知能に置き換えられにくい分野というのはなにも学力が直結する分野に限りません。細やかなコミュニケーションを必要とする分野や、柔軟な対応が必要な作業など。育児や介護はその最たるものです。
 なんなら富の偏りすぎだけはなんとか解消して、人口の半分くらいで育児や介護をする社会になるのも一案なのでは。それはそれで、豊かな社会だと思います。




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