正木慶文「長崎隠れキリシタン記」の感想

 ちょっと変わり種ですが、図書館で見つけた一冊「長崎隠れキリシタン記」の感想。

 本書は、医師の正木氏が行っていた長崎の隠れキリシタンの聞き取り調査の内容を、後世になって娘さんがまとめて出版したものです。初出は昭和30年代から40年代にかけての長崎バスの車内誌への掲載になるようです。
 非売品らしく、何部出版されたものなのかわからないのですが、おそらくめちゃくちゃ貴重な資料だと思うので、ネットの海に流してみます。

 隠れキリシタンとはなんでしょうか?
 専門的な定義は潜伏キリシタンとの違いも含めいろいろありそうですが、本書で扱っているのは、「江戸幕府の弾圧下で隠れてキリシタンであり続けた人々の子孫で、明治時代以降もカトリックに復帰せず、伝来の教えや習俗を維持し続けている人々」と考えて良いと思います。
 なぜ彼らはカトリックではなく、禁教が解かれた後も隠れキリシタンであり続けたのか? 
 それは長い年月の間に、自分たちが信仰しているものがもはやカトリックとは別物になってしまっていたからでした。
 本書ではこのように記しています。

<前略>隠れキリシタンは、世界の宗教史上にも類例のないユニークな現象であった。もとより教会も御堂もなく、神父もいない。神父に代って、一種のリーダーともいうべき帳方や看防役と、信者とからなる緊密な地下組織である。カトリックと仏教的色彩を兼ねた、いうならば、宗教上の秘密結社である。カトリック本来の一神教から逸脱した特異の多神教ともいうべく、従って、カトリックでもなければ仏教でもない。一種の混成宗教である。(52ページ)

 江戸時代の隠れキリシタンたちの多くは教養のない貧農でしたが、洗礼の習慣や安息日の厳守など、カトリック的な要素を多分に残した生活を250年に渡り続けていました。しかしその年月の間に、彼らの信仰スタイルは、日本の習俗に合わせてすっかり換骨脱胎されたものに変化していたのです。(あるいはもとから「正統な」教えを身に着けていなかったのかもしれませんが)
 彼らは先祖伝来のカトリックに関わる像や品々をありがたがる一方で、仏教や神道の神仏を大切にすることになんの矛盾も感じていませんでした。さらに本書によれば、隠れキリシタンたちの信仰の対象は、マリヤ観音や宣教師由来の品に留まらなかったようです。

 こうして、具体的な信仰の対象を求めてやまぬ素朴な信者たちは、仏教の観音像をそのままサンタマリヤの聖像になぞらえて崇敬し、或いは青銅の阿弥陀如来の像をそのままサンジュアン様やデウス様に切り換えて礼拝しながら、少しの矛盾も感じていない。<中略>のみならず、事ごとに妄誕を信じ易い彼らは、たまたま海岸に漂着した奇怪な女体の人形や、破損して汚くなった古い壺をも、不可思議な何かの神秘の力に帰せねばやまぬのであった。壺は、皆で拝んでいくうちに、何か補足し難い精霊に似たものが、ソロモンの壺のように、その中に秘められて、すでに、彼らの信仰生活に深い関係をもつに至ったのであった。(53ページ)

 ありがたいから拝むのか、拝んでいるうちにありがたいものになるのか。
 いずれにせよ、ある意味節操がないともいえる偶像崇拝的、呪術的、多神教的な側面は、「正統な」カトリックとは到底相いれないものだったことでしょう。それが隠れキリシタンたちが、現代にいたるまで隠れキリシタンであり続けた理由でした。


 ところで、こうした日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けたキリシタンに関わる遺産群は、2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されました。
 しかし著者が調査を行った樫山、畝刈・樫の久保および黒崎地区のうち、登録対象となったのは黒崎の一部である出津集落のみでした。それ以外の大半の地域は、登録もされてもいなければ、Wikipediaによれば登録候補として挙げられたこともないようです。
 それも無理からぬことで、著者が調査を行った昭和半ば頃でさえ隠れキリシタンは高齢化し、消滅の一途をたどっていました。wikipediaによれば黒崎以外の隠れキリシタンの共同体は現在ではすでになくなっている模様です。加えて、潜伏キリシタンは「潜伏」していただけに、形ある何かをほとんど残しませんでした。登録された遺産群とて、漠然と集落全体を対象としているものが多く、ダイレクトで見てわかりやすいものがあまりないのが現状ですし。(参考:【世界文化遺産】長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
 敢えてこの地域の潜伏キリシタン、隠れキリシタンたちの形ある遺産を挙げるとすると、枯松様ないしは枯松神社が候補になるのでしょうか。現在では伝説の伝道士バスチャンの師のサン・ジワンの隠れ家として市のHPなどでは紹介されている枯松神社です。しかしその縁起の伝えられ方の混沌たる様も、本書で語られています。

 私は、その後も、村のいろんな人に会って訊ねてみたが、旧キリシタンの間ではサンリアン様の墓と信じているが、非キリシタンの間では平家の尊い落武者の墓として日をきめて参詣にくるものもおり、これは吉野の神がかりじみた託宣に由来することは前に述べたとおりである。枯松様は外人か日本人かさえも人によって返事はあいまいであった。さまざまな伝説や憶測があって、今もってはっきりした縁起はわからない。しかし、黒崎の三人の帳方はじめ、村のキリシタンたちは、ただサンリアン・パッパ・コンエソオル様の墓で、キリシタン宗門の大切な信仰の対象として、無条件に崇敬していることは事実である。(162~163ページ)

 本書ではサンリアン様がサン・ジワンと同一人物なのかどうかを含め、訊く人により伝承が異なっている様子が記されています。ここに現れる吉野というのは、大正時代に影響力を持った祈祷師で、枯松様での社殿建設にかかわった人物なのですが、彼のお告げと戦時中の軍国主義的な気風によって、キリシタンたちの聖地であった枯松様が、非キリシタンたちの参拝の場になったのだろうと、著者は推測しています。
 ある意味では、潜伏キリシタン遺産が登録された際の評価ポイントである、「日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けたキリシタンに関わる遺産」を現在進行形で体現している神社とも言えそうです。しかしこの混沌としたものの、どの要素をどのように遺産として残せばよいのでしょうか。
 こういうところからも、形のない文化、ことに庶民の文化を後世に残すことの難しさを感じます。

 何にせよ本書は、隠れキリシタンの人々が昔ながらの信仰生活を維持していたギリギリの時代の生の調査報告として貴重だと思います。読むとしたら図書館を頼るしかなさそうなのが残念ではありますが。


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